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見学会&懇親会「東映東京撮影所見学と最新映像技術の体験」3月18日(月)

ビジネス交流委員会
3月18日(月) 
見学会&懇親会
「東映東京撮影所見学と最新映像技術の体験」

今回は東映シーエム株式会社様にご協力をいただき、大泉学園駅からバス5分のところにある「東映東京撮影所」と、同敷地内にある「東映ツークン研究所」を視察させていただきました。
東映東京撮影所は、東映の事業所のひとつで、敷地内には東映テレビ・プロダクション、特撮研究所、東映アニメーションなどの企業や施設が置かれています。撮影所自体は90年以上の歴史を誇り、歴史の宝庫となっています。
東映ツークン研究所の“ZUKUN(ツークン)”は、ドイツ語の「未来」を意味する”Zukunft”から創られた言葉です。映像文化にデジタル技術を取り入れることで、どのような未来が生み出せるかを追求し、実践的に映像制作に活かしています。近年では多様化した新しい形のコンテンツにも積極的にチャレンジしており、まさに時代の最先端を突き進んでいます。この2つの施設で、過去から次世代までの映像制作について、入口から出口まで身近で体感することができました。

懐かしの作品から最新の映像技術まで見学
会場に到着後、研修室で東映東京撮影所を紹介するVTRを視聴しました。視聴後は今回の見学会の内容と流れを詳しくご説明いただきました。
その後、撮影所内の見学をスタート。昭和を象徴する任侠映画など、懐かしい作品の名残を肌で感じることができました。また、最近の人気テレビドラマ「相棒」や「特捜9」の撮影セットも見学できました。テレビのシーンを想起しながら、撮影スタジオの規模の大きさにも圧倒されました。
大規模な美術倉庫では、襖や扉などの美術道具から、バッグ、傘などの小物からテレビ、冷蔵庫、電子レンジなどの家電製品まで、まるでショッピングモールを歩いているような美術道具の数々に驚きを隠せませんでした。

途中、通りかかったビルで、東映の創業者である大川博さんの手形を発見しました。この方は南甲倶楽部創設当初のメンバーであったことも知り、思わぬ出会いに感激しました。大川さんはテレビ朝日の初代会長でもあり、「相棒」と東映撮影所のつながりについても理解できました。

ツークン研究所では、巨大なスタジオの中で様々な最新映像技術を体験することができました。まず、人やモノの動きをデジタル化するモーションキャプチャー技術のスタジオを見学しました。このスタジオでは、複数の出演者や小道具などを同時に撮影できます。

知識と懇親を深める充実したひと時に
次に見学したバーチャルプロダクション(11スタジオ)は、CGと実写がリアルタイムで融合できます。ここでは参加者全員で映像体験をしました。
すべての時間において大変貴重な時間を過ごすことができ充実したひと時となりました。
見学会の後は、ご用意いただいた別室で質疑応答の時間を設けました。多くの参加者から活発な質問が出て、映像への関心の深さを再認識しました。
最後に、隣のビルにあるバンケットルームで懇親会を開催しました。会場には3名の東映シーエムの方にもご参加いただきました。東映シーエムの方々とだけではなく、会員の皆様同士の懇親も深めることができ、楽しいひと時を過ごすことができました。

企業交流委員会 情報交換会
熱海 旧日向別邸・起雲閣 見学会 3月9日(土)

3月9日(土)  参加人数 8名

企業交流委員会ではメンバー間の情報交換と懇親を兼ねた情報交換会も開催しており、今回は熱海の歴史的名建築を巡るツアーを報告します。

ブルーノ・タウトの内装設計作品 旧日向別邸

東京では二度目の積雪が観測された翌日、打って変わって早春日和となったこの日、歴史的名建築を巡る見学会が開催されました。一行が最初に向かったのは、南甲倶楽部・芳井会長にご推挙いただいた旧日向家熱海別邸です。これは、実業家・日向利兵衛氏の別邸として1936年相模灘が一望できるロケーションに建てられた国の重要文化財に指定される建築物です。その特徴は、急傾斜地ゆえに木造2階建ての母屋前に土留めを兼ねた鉄筋コンクリート造りの地下室が造られ、その屋上を庭園とする工夫が施されています。この地下室の内装設計を手掛けたのが世界的なドイツ人建築家ブルーノ・タウトであり、日本に現存する唯一のタウト作品となったことで、まさにこの地下室が2006年7月に国の重要文化財の指定を受ける所以となりました。地下室は、竹や桐といった和材が随所に用いられた“社交室”、海の眺望を確保するために意図的に造作された階段やワインレッドに染色された絹の貼壁が印象的な“洋風客間”に続き、仕切られた空間でありながら隣室としての調和が重んじられた“日本間”や“ベランダ”から構成され、日本の建築美を強く意識したタウトの思想が感じられる設計・配置となっています。とても熱心なご説明をいただいたガイド役の方からは、母屋の設計も実は近代日本建築の巨匠・渡辺仁によるもので個人邸宅としては希なる作品であること、かの“ブラタモリ”のロケ地にも選ばれたこと等々、決してパンフレット等には書かれていない数々のエピソードも披露されました。

とりわけ深く印象に残ったのは、タウトの作品に心惹かれた施主である日向氏の熱意に応えるべくタウトが協力を要請したのが、逓信省気鋭の建築家であった吉田鉄郎であり、その設計思想に基づいて実際の造作を指導したのが、吉田と同郷であった宮大工棟梁・佐々木嘉平と、知られざる名工たちの合作によりこの名建築が生まれたこと、そして民間企業の保養所となったのち取り壊しの危機に直面した際に救いの手を差し延べたのが、名建築を愛する東京在住の女性篤志家の方であったこと・・・つまり、多くの方々の思いが紡がれた結果、我々が今、この貴重な作品を観ることが出来たということでした。

熱海三大別荘の一つ 起雲閣

続いて一行が訪れたのは、岩崎別荘・住友別荘と並んで「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる「起雲閣」です。”海運王”として名を馳せ、政・財界で活躍した内田信也氏が実母の静養場所として1919年に建てた別荘部分が現存する和館 “麒麟・大鳳の棟” “孔雀の棟”として残されています。1925年に昭和の“鉄道王”根津嘉一郎氏が内田氏より土地・建物を取得すると、根津氏の別邸として手が加わり1929年洋館 “金剛”と緑豊かな庭園が完成します。格調高い迎賓館 “金剛”には、甘美な趣をたたえる“ローマ風浴室”が備え付けられるなど、かつての栄華を今に伝える最も印象的な建物となりました。その後、1932年に日本の神社や寺に見られる建築的特徴を持ちつつも中国的な装飾やアールデコ様式を取り入れた洋館 “玉姫(たまひめ)”と中世英国のチューダー様式を用いた “玉渓(ぎょっけい)”が増築されますが、12年後の1944年に根津家がこの別邸を手放すことになります。これを1947年に取得したのが、金沢・湯涌温泉でのホテル経営で財をなし、戦後アメリカ進駐軍に接収されたため、熱海での開業を模索していた実業家・政治家の桜井兵五郎でした。「起雲閣」の名は、この旅館時代に命名されたものとなります。1949年の“金剛の棟”の改築を手始めに、 “音楽サロンの棟” “展示室の棟” “企画展示室” 等々が断続的に新築され現在に至っています。

旅館としての「起雲閣」は、観光メッカ熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎えましたが、とりわけ志賀直哉・谷崎潤一郎・太宰治といった日本を代表する文豪たちに愛されたことでも有名です。日本建築の美しさを纏った本館(和館)と離れ、日本・中国・欧州各国の装飾や様式美を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館に加えて、緑豊かな庭園が調和して優美な気品を醸し出している名建築といえます。旅館時代にBARとして使われていたスペース「喫茶やすらぎ」で戴いた抹茶と和菓子は気品溢れる雰囲気も相まって格別なものでした。

その後、熱海駅に戻った一行は、伊東魚市場に水揚げされたばかりの海鮮に舌鼓を打ちながらの情報交換を行い、解散となりました。

(企業交流委員 清水英樹)